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  • Noriyuki Koike

Lombardia 〜Prologo〜

更新日:7月21日

ロンバルディア 〜前書き〜





「はじめに」


実に一年以上ぶりの書き込みとなった。

昨年のまだ完結していない復活祭の話もまた続きを始めたいところではあるが

ひとまずそれはまた時間を作って必ずや。


今回はこれから読んでいただくに当たりぜひご理解をいただきたく思うこと多々あり、ご手数であるがこちらをお目通し願いたい。


これから始める連作は当店において

2020年11月〜2021年3月初旬まで展開した

《ロンバルディア州郷土料理》

第一部 州西部 ミラノとパヴィア 、その周辺地域 2020年11月〜

第二部 州北部 ヴァルテッリーナと山、湖水地方

(ブレーシァ、ベルガモの山岳地帯含む)2021年1月〜

第三部 州東部 マントヴァとその周辺地域 2021年2月〜

(クレモナとブレーシァ平野部含む)


以上、5ヶ月近くにわたった三部構成の中から、それにまつわる話をいくつか拾い上げて書き綴った手記の様なものである。

当店が年間に数回、イタリアのどこかに焦点を当てながらその地域の郷土料理専門店として展開するという、極めて辺鄙な形態の店だとは重々ご理解頂いていると思うが、2020年の春先あたりから、ロンバルディアを必ずこの冬には展開しなくては、と心に誓っていた。


今頃になって何を、と思われてしまっても致し方ないと思うところではあるが

なにぶん筆者(店主)も日々の時間のやりくりに腐心しながらのこの一年半。


地球規模で否応無しに直面せざるを得なかったコロナ禍。

今もまだ世界はこの新たな感染症の脅威に晒されたままだ。この文章を書いているこの瞬間も日本は目前に迫った五輪の詳細を決めあぐねている状態ではあるが、我々にとっての第ニの祖国イタリアは一時期の凄惨な状況から大きく前進した感があり、ひとまずの安堵というところにまで来たと思う。

だが、それこそ一年以上も前だが、世界でも群を抜いて過酷な状態にあったイタリアのその初期の感染源として槍玉に挙げられてしまったのが他でも無いロンバルディアだった事は記憶に新しい。

それでもまだ日本ではクルーズ船の帰港からの喧騒、最初の緊急事態宣言発出の是非を問う様な、そんな時期であったが、ロンバルディアではすでに緊迫した状況に追いやられ、ニュースを観ればイタリアからはロンバルディアの名が連呼されていた。

ロンバルディアが、イタリアがまるで悪者扱いの様に。


誰に頼まれた訳では無いが「ロンバルディアとイタリアの名誉の為に」、それが長らく休止となってしまっていたこのブログの筆を再びとったきっかけである。

これまではメニューブックの冒頭に2ページから多くて3ページ、およそレストランのメニューとしては失格と言わざるを得ない文字量で、その時に展開している州や地域の歴史や食文化を凝縮しては筆者なりに紹介してきた。

だが、こうしてコロナ禍の中、筆者1人での営業への転換を余儀なくされた事、またそれまで従事してくれていたスタッフと3人でやれる限りをやっていたスタイルそのものの多くを縮小化せざるをえなかった事。 その状況下での方向修正に多大な時間と労力を費やす事となり、あらたなブログの更新が滞ったままタイミングを逸してしまっていた。


また、コロナ禍云々に触れる以前から、そもそもの出発点ではあるがあの紹介分の、いやある意味この店そのものとも受け取れるが、必要性や存在意義の不要論が実しやかに囁かれる事多々、幾度もご来店いただける方々でも事実上あのページを読む事や伝統料理が持つ意味を楽しみにしておられたのは両手で数えて収まってしまう程度であったのが現実だ。


〝興味がない”〝読み辛い″ 〝退屈” 〝1人よがり”〝自己満足″ 〝知識自慢” 〝余計なお世話″ 〝押し付け”〝強要” 、等々。しばしば水面下で受ける数々の辛辣辛酸な言葉と冷ややかな視線はまさに文字通り「無用の長物」か「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。


これまでも自身の店を始めるずっと以前からイタリアの伝統的な食文化の深遠に近づかんとすればする程、周囲や世の中との間の深淵や距離感に直面し続けてきたのは事実だ。

確かに東京の、日本のイタリア料理店をやれ歴史だの背景だのと小難しくつまらない方向に引導してしまっている主犯格か戦犯となっている店である事は委細承知している。こうした諸事情ある中、筆者としては寂寥感あるが事実上このまま筆を置く事を止むなしと考えている次第だ。


今後はまだ店が存続できているうちは、より伝え易く、違った形でこの後に展開してゆく地域の紹介を模索しているが、今回のものはこれまで2、3ページに凝縮、要約していたような短い(?)ものでは無い。一つの節目として意を決して取り掛かったロンバルディア州について解りやすい内容や形式でも無く、誰に添削や校正を委ねるものでも無い、文字数や読みやすさなどお構いなし、書きたい事を書きたいように遠慮無く綴ったものだ。もちろん全て書き切れる保証も約束も、また時間も知力も無いが、往生際の悪い足掻きのようなものだと思っていただきたい。

結果、数回に及ぶ膨大な文字量となってしまった為、少々読み切るには骨が折れるやも知れず、はご了承を。



また、最も肝心なのは、これは学術的に発表する、あるいは出版を目的とするような正式な機関の承認を受けての論文などでは決して無い。 内容としてはイタリア、日本、世界の先達がここまで書き記してこられた偉大な研究の賜物と軌跡の写本の様な形が軸としてある。

そこに筆者自身のイタリアと日本でのこれまでの経験、イタリアで集めた原書物、日本のイタリア関連の書物や資料、柄では無いがこの時代インターネットも閲覧しつつ諸々照らし合わせた上、無謀にも自論、見解を書き加えたものだ。あくまでここで全く新たな仮説や論説を筆者が打ち立てたという事では決して無い。

イタリアの伝統料理、郷土料理に日々向き合い続けての今日まで、そしてその未来を願うこの筆者自らの頭の中、心の中を文字として表現した乱筆乱文であるゆえ、改まって参考文献や資料まで掲載義務を伴う様な、そんな大それたものでも決して無い。


筆者個人はどう背伸びしようにもイタリア料理を生業とする一介の料理人。ヨーロッパ史や食文化史などその筋の専門家からすれば史実の時系列の間違いや取り違い、筆者自身の思い込み、勘違いもあろう。あるいは気持ちだけ先走りがちなお見苦しい箇所も多々であるのは否めない。それ故にあくまでもその事を念頭に、決して「これが正しい」「こうでなければいけない」などとはくれぐれもも考えずにいて頂きたい。

イタリアでも日本や世界でも、また料理人もソムリエも、レストラン、そしてもちろん家庭でも、イタリアと触れる上での世界観や価値観はその人の数だけあるもの、その人にとってのイタリアで然るべしであり、楽しみ方は千差万別、色々あってそれで良し、そう理解している。

この手記はあくまでただ1人の料理人の1つの考え方や世界観という位に捉えた、鳥瞰、俯瞰で見るような心持ちで読んで頂くくらいが適切かと思われる。

だが、イタリアの伝統料理、郷土料理が歩み積み重ねてきた時間とそこにある本質は、この先世界が、世の中がどう変化していこうとこれだけは変わらない。そしてその先に繋がる未来が有る。そしてそれに向き合う筆者のイタリア料理への姿勢と矜持を恥ずかしながら僅かでもご理解頂ければ、と願うところだ。

ここまでもう十分な文字量と内容だと思う。

敬遠される理由は明白ではあるが、しばしお付き合い頂ければ幸いである。

では、 ロンバルディアの歴史と食文化の旅を始めてみようか。




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