検索
  • Noriyuki Koike

Lombardia 〜Vol.6〜


写真

上左:フランス外相タレーラン

上中央:ラデツキー将軍

上右:オーストリア宰相メッテルニヒ

下左:Wiener Schmuitzel ①

下中央:ウィーンのシェーンブルン宮殿

下右:Wiener Schmuitzel ②

※写真はまたインターネットからの流用となる為、権利などに触れる場合はご指摘いただければ速やかに削除いたします。


【もう1つのコトレッタ 】

ここまでは長々とフランスを絡めたコトレッタとコストレッタを論じてきたのだが、コトレッタを考察しうるにあたり、決して外してはならないもう1つの重要な説が存在している。

無論諸説ある事を念頭において論じるが、このシリーズ最初にコトレッタの話の入る際に〝最も重要視されている″ と言った説、実はそれがここからのものであり、コトレッタにまつわる最も興味深いものとして、いや、言い換えれば国境すら跨いで「最も人気のある」位置付けとして語りつがる今も尚その結末を見ない1人の男にまつわる逸話であるのだ。

既にご存知の方も多かろう。


その男の名は「ラデツキー将軍(総督)※以下ラデツキー」。

時はウィーン体制下、ロンバルディア全域と旧ヴェネツィア共和国領はオーストリアの占領下にあり、その統治を担う総督として派遣されたのがこのラデツキーだ。

フランス革命以降、ナポレオンの台頭と失墜を経たヨーロッパ各国はそれぞれに政情不安に陥っていた。そのような社会情勢の中、ヨーロッパ全域で高まった自由への意識と市民運動の灯は消えず、世は混乱と化していた。

こうした事態を治めようと(もちろんそこはその後の勢力争いにおける優位な立場を目論んでの事だろうが)フランスの外相タレーランが提唱し、オーストリアの宰相メッテルニヒが議長を務めるというイタリアからすれば隣国の2強が主導し、挟まれるように開かれた「ウィーン会議」は、フランス革命以前の王政、絶対君主制、専制君主制の復古、保守派復権による治世を目論む各国が集結したものであった。

この会議によりヨーロッパ圏に形成されたのが世に言う「ウィーン体制」である。


18世紀のスペイン継承戦争以降オーストリア占領下とされ、一時ナポレオンによるチザルピーナ共和国の時代を挟み、ウィーン体制下では再びオーストリアの占領下に置かれたミラノとロンバルディア、ヴェネツィアを中心とした北イタリア。言わば列強に翻弄され続ける立場にあったと言わざるを得ず、そこからの開放、独立を望む市民運動が日に日に活発となっていた。

高まるオーストリアへの不満は遂に〝ミラノ蜂起(別名ミラノの五日間)″ と言う形となり双方は真っ向から衝突するに至る。総督であるラデツキーはその鎮圧に向かうべく進軍。 このミラノを始め各地で激しい抵抗に逢いながらも鎮圧に成功し本国へと帰還した。文字通りミラノで起きた武装蜂起は実質五日間で鎮圧という憂き目に遭い、ミラノは再びオーストリア占領下とされた。

この総督時代の統治政策の最中に本国へと宛てた手紙にも記されていた〝パン粉をつけて薄く揚げ焼いたミラノの肉料理” すなわちコトレッタについての内容のものが確認されており、更には〝我がオーストリアのものを土台とした” なる文面もあったそう。これがその後、銃火器を料理という武器にもち持ち替えた〝コトレッタ発祥の地はいずこか? “ という戦い(舌戦)を勃発させた。


「Wiener Schnitzel ウィーナーシュニッツェル」という料理を聞いたことがあると思う。文字通りウィーン名物でもあり、オーストリアを代表する押しも押されぬ伝統料理、看板料理である。確かにミラノのコトレッタ同様に仔牛肉を薄くたいてパン粉を纏わせて調理する料理だが、決定的な相違点を幾つか見出すことができる。


まずは前回までそれこそ叩いた肉の厚さ(薄さ)について触れてきたが、あえて比較して見てみると多くの場合シュニッツェルは通常のコトレッタよりも遥かに薄く大きい。それはあたかも最初に触れたミラノの〝象の耳“ とも通じる感覚でもあるが、場合によってはそれを超える薄さ、大きさのものもざらに存在する。

また、ミラノでは加熱の際に用いる油脂は必ずバター、澄ましバターである事が定説であるが、シュニッツェルの場合は主に種油やラードであるとされ、それを混ぜていたりもする。仕上げの風味付けにバターも用いたりもする。

そして加熱の仕方もこちらはその薄さや大きさからくる理由であろう、ミラノのそれと違い、肉が泳ぐ程の油脂の量で、且つ高温で短時間に行う。それはまさに〝揚げる“ のと変わらない。そして写真の下左にある様に、ウィーンのレストランや作る人にもよるが、焼き(揚げ)上がったシュニッツェルにアンチョビ、さらにケッパーを添える提供法もある。こう言った点が明らかなミラノとの相違点だと言えよう。

もちろんこれはどちらかの優越を決める論点では無く、双方ともにそれぞれの個性であり、街はおろか国を代表する料理として確固たる地位を築いている。だがその由来についてとなるとどうもどちらも我こそが本家、と決して譲れないようなのだ。

オーストリア側の主張はこうだ。

「ミラノのコトレッタはラデツキーがミラノと北イタリアを統治した時代、オーストリアから伝えられた我がウィーナーシュニッツェルを模して始まった料理に他ならない」。

これに対しミラノは当然こう答える。

「ウィーナーシュニッツェルはラデツキーがミラノを占領していた時代、ミラノで食した我がコトレッタをたいそう気に入り、手法を国に持ち帰り、それを模して始まった料理に他ならない」と。

もはや平行線である。

ロンバルディア、続く。


23回の閲覧