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Lombardia 〜Vol.3〜

更新日:7月15日



【ミラノ料理の看板】

Vol.2ではざっくりと代表的なミラノ料理の話触れたが、その中から敢えて一皿、〝これぞミラノ料理” と呼ぶべきものを挙げるとなればやはり世に「ミラノ風カツレツ」と呼ばれる〝Cotoletta 仔牛のコトレッタ ” では無いだろうか? (全くの筆者の主観、独断と偏見も大きく関与している事はご愛嬌として了承を願いたい)

ご存知の様にこの料理、仔牛肉を叩いて薄く延ばしたものにパン粉を纏わせ、バターでじっくりと表面を香ばしく揚げ焼きしたもの。 ミラノに足を運べばリストランテやトラットリア、もちろん家庭ででもどこでも食べる事ができる名実ともにミラノの看板料理だ。

今では〝Orecchia d’elefante 象の耳“ という別名がつくほど、お皿からはみ出すくらい薄く大きく叩いて仕立てたものまで、新旧存在する。

新しい、とはいえ考案されたのは20世紀前半、ミラノの老舗Saviniにおいてだと言われるもので、伝統料理は流れる時間の尺度の大きさに感嘆するところではなかろうか。

言い換えればそれほどミラノにおいて愛されているこの料理だが、背景を辿っていくと実に歴史の迷宮から抜け出せなくなるほど興味深い。

広義でのコトレッタはまさしく先述のように作る事が大義であり、後で触れるが、肉の部位としてはロースの他、フィレや腿、腰肉、尻肉など色々と用いられる。

だがこのコトレッタという呼び名、実はそれこそフランスから持ち込まれた言葉〝Côtelette コートレット“ が語源である、と頭ごなしに言われれば、その響きからもそれとなく納得してしまうだろう。


しかし、簡単に「持ち込まれた」と、そう言ったところでミラノ人とイタリア人からすれば早々素直に認めるわけにはいかない。相手は多岐に渡って長年の好敵手であるフランスだ。イタリアとの関わりは殊更強く、その説は真実なのか? 百歩譲って仮にそうだとしても、いつの時代の事なのか? という揚げ足取り的に疑問を持つのは当然だ。

この場合、フランスが大きく関与していたシチリア、ナポリ中心に南イタリアを含む歴史の話はまた特殊で枠の大きなな事例になってくるので今はそこは回避しよう。コトレッタについてはミラノとロンバルディア、北イタリアを切り取って考えてみる。

(南イタリアまで絡め出すとそれだけで本が一冊できてしまう程の文字数になってしまう故、また違う機会に南イタリアは存分に)


【イタリアとフランス、コトレッタという料理】

さて、ここからイタリアとフランスとの話を皮切りに幾人もの研究者が繰り広げてきた(今も)〝コトレッタの堂々巡り“ を満喫してみようと思う。

フランスはそれこそ古代ローマ時代の〝ガリア“ から関わり続け今に至ってているのだからその歴史はやはりイタリア同様に長く深い。

中でも特に大きくフランスがイタリアに干渉していた時代を筆者なりに選りすぐると、ルネサンス期以降の15、16世紀、いわゆる時のヴァロワ朝フランスがミラノ公国、北イタリアに侵攻し、神聖ローマとこの地の領有権を巡って70年近くに渡り戦った「イタリア戦争」の時代が1つ。

18世紀のフランス革命からナポレオンの登場、第一次大戦までの激動の時代、いわゆる「イタリア統一運動(戦争)リソルジメント)」の時代がもう1つ。

隣国ゆえにこの2つの時代を軸に、絶えずミラノとロンバルディア、北イタリアはフランスと深く関与しあってきた。


だが、一旦フランスから離れて料理としてコトレッタを辿っていくと、その原型とされるものが最初に登場するのは実は遡る事12世紀。ミラノの司教であり、殉教後この街の守護聖人となっていたアンブロージォの大聖堂にて、聖サティロの日の修道士達の食事の席にまさにコトレッタらしきパン粉を纏わせて揚げた肉料理が提供された記録が現代の研究によって明らかにされている(教会や聖堂と修道院はきほんてきには別のものであるのだが、この聖アンブロージォ大聖堂は特例的に双方が一緒に存在している)。この時の料理がどのような状態のものであったのか詳細はわからないが、コトレッタの起源をここに軸として置いた場合、〝呼び名” 云々の前に〝料理そのものは” この時点で既にフランスから持ち込まれていたものなのだろうか? と、考えてしまうところだが、どうやらそうでは無さそうだ。

というのは現在、最も〝重要視″ されている時代背景としては先程の2つの時代の後者、18世紀、19世紀の近代からの可能性が高いとの見解が有力である故。

資料によれば17世紀には既にフランスにおいてコトレッタにによく似た肉料理の存在が確認されており、その後18世紀末にその料理がイタリアに持ち込まれた際、比喩的に「フランス革命(1789年)のコトレッタ」なる異名で呼ばれたそうである。

先程の12世紀の食卓の話を起源として照らし合わせると、それこそ、その後の数世紀の間、先に原型がイタリアからフランスへ伝播したのだろうか? イタリア戦争においてミラノ公国がフランスに占拠され領主のスフォルツァ家は放逐されるのだが、伝播はその時期での事だったのか?

食文化史の専門家からはコートレットがイタリアから伝わったとされる大義名分には未だ懐疑的にも捉えられる姿勢(とくにフランス側からは)も多いが、別の角度ではイタリア戦争時期と重複しているがこれもまた一つの大きな歴史的な出来事、フランス料理の礎を築いたとされるあのカテリーナ デ メディチ、それに続くマリア デ メディチの結婚だったのか?という見解もできよう。

だが、まずカテリーナがフランスに影響を与えたとされるのは主にお菓子の分野であったはず、それとも? 、、、と、想像が止まない。

そもそもフランス系の血を引いていたと言われるカテリーナの存在は、当然それ以前からのイタリアとフランスの関係を証明するものでもあり、決してこの戦争や婚姻が初めての接触では無い事の裏付けともなる。

繰り返すがこれはあくまで筆者の歴史浪漫的推測の域での見解であるのでご注意を。

いずれにせよコトレッタは後世になってフランスからイタリアへ逆輸入というべきか、鮭が川を遡上してくる様なのか、成長した姿で故郷に帰ってきたと言う事として受け止める事とする。


ロンバルディア、続く。

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