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  • Noriyuki Koike

Lombardia 〜Vol.2〜

更新日:7月18日


※写真は手持ちが無かった為インターネットからミラノの象徴的な画像を流用(再び陳謝)。権利などに触れる場合にはお申し出ください(速やかに削除いたします)。

《ロンバルディア ミラノ編》

何を置いてもここミラノを語らずしてロンバルディアはおろかイタリアは語れない、そう言わしめて迷いはない。それがミラノという街である。

ランゴバルド王国以前、古代ローマよりのその古名〝Mediolanum メディオラヌム″ は「平野の真ん中」を意味する言葉だ。文字通り東西に長いパダーノ平野の中央に位置し、スイス側北部湖水地方を水源とするティチーノ川と、フランス側ピエモンテ山岳部を水源とするポー川という2つの大河とその支流がもたらす肥沃な大地と、歴史の項から述べてきた様に、地理的にも政治、商業の最重要所の1つとして古より栄えてきた街である。


歴史上の大きな転換期の一つ、時の西方コンスタンティヌス帝、東方リキニウス帝によるキリスト教公認、国教化への大きな一歩となったミラノ勅令の地であった事などから、いかにこの街の存在意義が長く大きかったかが知り得る。


そのミラノが最も華やかなりし時代といえばやはりルネサンス期に隆盛を迎える「ミラノ公国」時代だ。苦難の中世を脱し、活気を取り戻した街にはいろいろな商店や飲食店が並び賑わっていたそうである。 領主であったのはイタリアを代表する歴代の貴族でありミラノの2大名家「ヴィスコンティ家」とそれに続いた「スフォルツァ家」。

この地域を旅すればわかるが、この両家の隆盛なりし時代の足跡をそこかしこで見る事ができるだろう。

写真にもあるがイタリア車好きにはたまらないであろうAlfa Romeoのエンブレムに刻まれているのはミラノ市の紋章とこのヴィスコンティ家の大蛇である事は有名な小話だ。


ミラノはロンバルディア概論の冒頭に記したイメージや、州の中心的都市と言う顔だけでなく、かつての華やかな時代以降もこの地の中心であり続け、後には一時イタリアの首都機能を担うなど、統一運動でもサルデーニャ、サヴォイアと並び主役であったこの地の歴史はある意味ロンバルディアそのものの歴史でもあり、イタリアそのものの歴史と言って良い。広義で捉えればヨーロッパの歴史だとしても決して過言では無い。

筆者独自の表現を許されるならばローマが現在のイタリア共和国という国家とキリスト教(カトリック)世界の首都であるとすれば、ミラノと言う街は実質的、実動的にずっとイタリアという半島の中の推進力であり続けた「裏の盟主」であり「偉大なる黒子」である、と胸を張って呼びたい。


ここからようやく料理、食文化の話へと移していくが、こうした時代の向かい風、追い風、あるいは横風を一身に受けながら、今もなお脈々と受け継がれてきた伝統的なミラノ料理の基盤はこうした背景の下に築きあげられてきた。


改めて考えると、「イタリア料理」として今や誰しもが知る定番料理の中には実はミラノ料理もしっかり名を連ねている事に気がつくだろう。

〝Cotoletta コトレッタ″ 、〝Osso buco オッソブーコ″ は、まさに世界的に名の通った料理として異論の余地のないミラノの顔である。


この肉料理2つに続いて、〝Scaloppina スカロッピーナ (叩いた薄切り肉のソテー)″、〝 Lingua in umido リングァ インヌミド(タンの煮込み)″、〝Rustin negàa ルスティン ネガァ(蒸し焼き)″、〝 Buseca ブゼーカ(トリッパ)″ 〝Rognone trifolato ロニョーネ トリフォラート(腎臓の薄切りソテー)″ 、〝Nervetti ネルヴェッティ(茹でたアキレス腱のサラダ)″ などはまさにミラノ料理の代表格であるが、ここで気が付くのは、これらの大きな特徴は「仔牛」を用いる料理だという事だ。

その背景にはミラノの北部ブリアンツァ地方の平野部、丘陵部は古くから畜産の盛んな地域で、中でも特に良質な仔牛肉の産地として重要な地域。山麓でかつて盛んに開かれた仔牛の市場は歴史あるものとしてその名が知られ、ミラノへの食糧庫として街の発展と密接に関係してきた経緯がある。

ルネサンス以降、牛肉の価値感は飛躍的に高まり、当然そうした食材は富裕層から受け入れらる。さらに、そうした風潮において、〝貴重な牛肉をまだ若いうちに食す贅沢“ という価値観の高まり、すなわち「仔牛肉」はミラノにおいて重宝される一因ともなった。


とかく、「伝統料理、郷土料理=貧しい人達の料理」の図式をすぐに考える事が多いと思うが、確かにそれは多くの場合において成立する。 だが、これら仔牛を使う料理の数々はむしろ富裕層の存在無くしてはあり得なかった発達の経緯だ。 宮廷料理も然り、イタリアには実はこうした富裕層によって生み出された食文化が気がつけば至る所に存在している。

逆の視点で考えれば、もちろん貧富の格差は決して望ましくは無いが、その不条理があったからこそ、そこに創造や知恵、工夫を凝らし、後に伝統料理として名を連ねていく料理や食文化が生まれてくる。

実は貧しい人達の料理も富裕層の料理も確立してゆく経緯や経路は違えども、根底にある本質は同じところにあるとも考えられようか。真逆のようで紙一重かあるいは表裏一体なのだと思うと、当時のミラノの隆盛ぶりをここに観ることができる事に伝統料理の成す業の偉大さを感じずにはいられない。


また、仔牛料理の流れからは外れるが、畜産地域らしく、豚の飼育も実に盛んだ。ブリアンツァ地方はサラミなど秀逸なな加工肉の産地としても非常に名高いが、正肉では無い部位を上手に使う料理は庶民の心意気だ。豚足や豚耳、Luganega(ルガーネガ)と呼ばれるサルシッチャと縮緬キャベツを煮込んだ〝Cassoeula カッソエウラ” (呼び名、表記は色々あるのでここでは一般的なものを)もミラノ料理の象徴的な一皿である。

この料理には筆者の個人的な思いもあり、また別の機会にしっかり触れさせていただく予定なので、そこはお待ちいただきたい。


続くが、こうした肉料理の他にはミラノ料理としては絶対に忘れてはならないミラノの富の象徴〝サフランのリゾット“ はかつて初めてイタリアにミシュラン三ツ星をもたらした英雄、写真の下段にもある故グアルティエーロ・マルケージ氏のシグネチャー的な料理でも知られる。

(両脇はご存知ACミランとINTERミラノだが、あえてマルディーニやバレージ、ベルゴミやサネッティではないのは筆者の独断と偏見だ)


また、郊外で採れる野菜も豊富で、風物詩〝グリーンアスパラと目玉焼き“ 、ボルロッティ(うずら豆)やカッソエウラでも触れた縮緬キャベツを使う料理も多々ある。世界に名を馳せるブルーチーズのゴルゴンゾーラ発祥の地もまたミラノに程近い田舎の村。

そして近年益々注目を集めるNatale(ナターレ)→クリスマス名物であり、ミラノ発祥の〝Panettone パネットーネ” などなど。まだまだ紹介したいところであるがこうして枚挙にいとまが無いほど豊かな顔ぶれが並んで行く。それだけにほんの少し意識しただけでも実は既に伝統的なミラノ料理に親しんでいた事がわかるだろう。



ロンバルディア、続く。




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