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Bigoli in salsa e Bigolaro



ヴェネトの伝統料理 ビーゴリ イン サルサ と その専用器具 ビゴラーロ。

解説の前に料理を取り巻くその大切な背景から入ろうと思う。


ローマ、テヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋を渡り左へ向かえばもうそこはバティカン市国。 眼前に凛として構える〝聖ピエトロ大聖堂″ は言わずと知れたキリスト教、カトリックの総本山。

このカトリックに限ってのみならず、プロテスタントも正教も、キリスト教世界における最重要な2大行事と言えば、12月25日にキリストの生誕を祝う「Natale ナターレ → クリスマス」、そしてキリストの復活を祝う「Pasqua パスクヮ → 復活祭、イースター」だ。


復活祭とは毎年日にちが固定されているナターレと違い、「春分の日から数えて最初の満月を迎えた週の日曜日」とされ、地球の公転軌道の理由でその年によって日付けがかわる〝春分の日″ によって左右される、いわゆる移動式祝祭日だということは良く知られている。


復活祭当日は寒い冬に別れを告げ、キリストの復活とともに春の到来を祝う行事として各地で盛大に、あるいは各家庭、友人知人達と、それぞれに祝い合うものだが、そうしたお祝い事を執り行う前にキリスト教ではしっかりと「清め」をしなくてはならない。

それが「Quaresima クヮレズィーマ → 四旬節」と呼ばれる古来よりの慣わしで、基本的な考え方としては「静粛に過ごす期間」として復活祭当日を迎える前の「40日間」、信仰する者達はキリストの最後の在り方を尊み〝慎ましく過ごさなくてはならない″ という教えだ。


キリスト教もその前身とさえるユダヤ教の教えでも語源であるこの「40 Quarata クヮランタ」という数字は度々登場する程、とても大切な意味合いを持っている。


キリスト教においてはその理由にキリストが最後、「エルサレム入城」の前40日間、荒野を彷徨い断食をしたことに起因していて、具体的に行うのは最も大きな意味合いではそれこそ 〝断食″ なのだが、事実上そこまでの厳格な定めは実社会では現実的ではない為、「食」に関しては〝肉食を断つ″ などに象徴されるように〝贅沢な食事をしない″ という観点が適切なのだろう。


歴史的には事が前後するが、現在社会の基準である「日曜日は休日」は、事実上キリスト教の考え方から始まっている(それ以前は土曜日がそれにあたっていたようだ)。

現代の暦に当てはめて考えた際の金曜日に処刑されたキリストが、その3日目にあたる日曜日に復活をしたとされている為、その事から日曜日を「主日」として、1週間のなかでの〝休日″ と定めた事がその由来だ。

その理由で四旬節の40日間には日曜日は含まず、実際には約1ヶ月半(約6週間)の期間、月曜日から土曜日まで週6日間で換算した40日間、という事になる。


この40日間の初日、これはいかに移動する復活祭の日付にも関わらず曜日での換算となるので〝必ず″ 水曜日から始まるのは変わらない。

灰を司祭が頭の上からかけたり額に模様をつけたりで洗礼や清めをするいわゆる「Mercoledi di ceneri メルコレディ ディ チェーネリ 〜灰の水曜日〜」で始まり、そこから復活祭本番を翌週に控える大事な1週間「Settimana santa セッティマーナ サンタ 〜聖週間〜」と続くのだが、通年、毎週大切な金曜日の中でも最も神聖な四旬節最後の「Venerdi santo ヴェネルディ サント 〜聖なる金曜日〜」とそしていよいよ迎える本番を直前に控えた最終日、1年に一度の「Sabato santo サバト サント 〜聖なる土曜日〜」。

この2日間は四旬節を締め括る上で特に重要となる。


余談ではあるが、ヴェネツィアをはじめ世界各地で盛大なお祭りとなる「Cernevale カルネヴァーレ」、いわゆるカーニヴァルは日本語ででも〝謝肉祭″ と表記されるように、この四旬節に入る前に大いにお酒を飲んで、肉食べて騒いでおこうという趣向のもと、文字通り〝肉に謝るが如く″ が本来の姿。

これは直接的な宗教的意味合いは薄く、どちらかと言えば「慣習」としての立ち位置として捉えるべきであろう。


とは言え、ここにもその期間に食す伝統的な料理やお菓子が各地に見られるが、それはまた別の機会に。



さて、ここからようやく料理の話に入る。


四旬節の期間中、イタリア各地(もちろん世界各地でも)それぞれに「静粛に過ごす為の食事」がそうして用意されるのだが、中でも代表的なものの1つに数えられるのがこの一皿、イタリア北東部ヴェネト州を中心とした伝統料理の手法「in salsa イン サルサ」だ。

直訳すると「ソースで和える」と言った意味合いになるが、実際にはじっくりと炒めて甘味を出した玉ねぎと、アンチョビ、あるいはイワシそのものを用いたもので、ソースというよりはオニオンスープの素のような状態のものにパスタを絡めるもの。

「野菜」である玉ねぎ、「魚」であるアンチョビやイワシ、「穀物」であるパスタ、という組み合わせであり、「肉を食べない」という教えと、保存も効き、いつも身近にあるもので質素に、という理念が見事に合致した質実剛健な一皿だと言える。


この手法、はっきりとした出自は不明だが、かつて文字通り〝淀み無き晴天″〝どこまでも続く晴天″ たる意味の「Serenissima セレニッシマ」、はたまた「アドリア海の女王」とまで表現され栄華を誇った強大な海洋都市国家ヴェネツィア共和国が起源とされ、その当時のイタリアでも指折りの大きなユダヤ人居住区「Ghetto ゲットー」を擁したこの都市において、そのユダヤ人から多大な文化的影響をうけたもの、という大方の見解だ。


ちなみに余談であるがヴェネツィア潟の島々の中でも一際大きな島 〝L’ isola della giudecca ジュデッカ島″ は〝ユダヤ″ を差す言葉 〝Giudeo ジュデオ″ からきた呼び名であり、かつてこの島が歴史的にもユダヤ人居住区としてヴェネツィアにおいて密接で重要な関係にあった事が汲み取れよう。


「in salsa イン サルサ」に合わせるパスタは生パスタが主流のイメージの北イタリアであるが、現在、中〜太めのスパゲッティも一般的にかなり多く見られ、主観だが乾燥パスタの発祥であるトルコやアラブなどの東方交易の拠点として繁栄したヴェネツィア共和国らしい足跡ではなかろうか、と〝あくまで勝手に″ イメージ結びつけて想像してしまいそうになる。


だが、後にも先にもこの料理におけるもっとも象徴的なパスタとしてはやはりヴェネト伝統の特殊なパスタ、「Bigoli ビーゴリ」に他ならない。

(ヴェネト方言では〝Bigoi ビーゴィ″ と表記、発音する場合が多いようだ)


ビーゴリが歴史上初めて登場するのはおよそ1300年代まで遡ると言われる。

ここからの一説は関連の書物やサイトからの逸話になるが、それによると当時トルコと交戦中であったヴェネツィア共和国は硬質小麦を運ぶトルコ船を沈め、そこから運び込んだ僅かな硬質小麦粉と元々あった軟質小麦粉、水、塩を混ぜて捏ねた生地を「手延べ」で作ったものが始まりらしい。

即興のアイデアで生まれたこのパスタは思いもよらず好評を博したそうで、当時の歌や童謡にも「Bigolo ビーゴロ」の名が登場するものもあったそうだ。

逸話は以上。


だが、もちろんこの逸話も出自の明確で無い言い伝えであろうし、伝統料理を紐解く上で大切な姿勢である【諸説ある】、を、歴史浪漫として想い馳せる楽しみさを存分に感じさせてくれるところもまた、このビーゴリを始め伝統料理の愛らしいところだとつくづく思う。


そして、ここで歴史的な考察として重要な観点が1つ。

この共和国、〝ヴェネツィア″の名を冠している故、どうしてもあの海に浮かぶ水の都を想像してしまいがちであるが、絶頂期にはその勢力を内陸地にも大きく展開し、現在のヴェネト一帯のみならず、ロンバルディア州ブレシアやベルガモにまで達する北イタリアの多くを取り込んだ一大勢力圏を形成していた側面に着目しなければならない。


ビーゴリ発祥の地は〝ヴェネツィア→潟の島々″ としてしまうのは早合点で、正しくは「ヴェネツィア共和国」とする方が正しいであろう。事実、出自の一説にある、内陸地で白アスパラや蒸留酒で名が知られる〝Bassano del grappa バッサーノ デル グラッパ ″ がこのビーゴリの発祥地、とされるものもかなり有力であり、現在もビーゴリの主だった文化圏としてはこの地を含むヴィチェンツァ県、トレヴィーゾ県、パドヴァ県があげらることからそれが垣間見える。


珍しく正確な記録としてはあの逸話から300年の時を経た1604年。

パドヴァのパスタメーカー職人〝Bartolomio Veronese バルトロミオ ヴェロネーゼ氏″ によって現在のようなビーゴリを絞り出す専用器具「Bigolaro ビゴラーロ」又は 「Torchio per bigoli トルキオ ペル ビーゴリ」など呼び名は幾つかあるが、「ビーゴリを絞り出すネジ巻き」が作り出され、現在にも続くビーゴリの手法が出来上がった経緯が残されている。


筒状の部分に練ったビーゴリの生地を入れ、ハンドルを回し強い圧力をかけながら絞り出す(押し出す)行程は、単純に生地が硬いからこそなのだが、そこに実は深い意味がある。


そもそもビーゴリの原型は前述のように生まれた背景には普通に手練り手延べで作れた生地であったと推測されるが、かつては〝白い小麦粉″ は貴族や富裕層の為の高価なものであり、庶民や農民の手に出せる代物では無かった。


また、現在は本来の製法である粉、水と塩の他、今は一般的だがそこから派生発展した〝卵生地″ の卵はつなぎとして効果を大いに発揮し、且つ、味を豊かに、ある意味今の主流と言っても間違いない。


だが、かつては卵も特に貧しい農家の人々にとっては物々交換で他の食材、糧を得る為、あるいは売る為の貴重なものであり、易々と口にする事も出来なかったのが現実だったであろう。

現在はいろいろな配合で楽しまれているが、本来は生地に卵は加えない事から始まったという背景を理解しておかねばならない。


そして、日々の糧として身近にあるものでパスタを練る。

この言葉、言うは易し。

かつての農家の人々は精製度が低く、粗く、繋がりづらい全粒粉などしか使えない、卵も使えない、そう言った悪条件を克服し、生地をつなげる為、「圧力」という答えが必要だったのである。

出自の逸話は別として、我々が現在考えているビーゴリそのもの宗教的な側面をそこには無い、元来、貧しい農家の素朴なパスタとして作り出されたもの、とするのがおそらくもっとも真っ当な筋道だと思う。

悪条件であったからこそ、そこが閃きや創造性を生み出し、多くの伝統的な農民料理が生まれてきた証では無いだろうか。

ビーゴリはそうした必然の諸条件の合致による叡知の結晶なのだ。


生地は逃げ場の無い円筒の中、台に跨って回すディスクの付いたハンドルに押され、ダイスを通過する際のその摩擦による表面の粗つきと、強い圧力から解放されて膨らむ事で、独特の〝多孔質″な骨格を形成。 結果、よくソースが絡む上、食感も力強い独特の個性を作り出す。

こうしたイン サルサをはじめ、鴨やアヒルのラグーや内臓のソースなどヴェネト各地で様々な組み合わせで愛されている。


ビーゴリは生パスタとして扱われる事が殆どだと思うが、かつては絞り出された生地はくっ付かないようこの地方らしくトウモロコシ粉がしっかりとまぶされ、まるで〝馬の背にかける“ と表現される様に椅子と椅子に棒を渡して垂らし、そこで乾燥させて保存もした。

スパゲッティの製法を思い浮かべていただければお分かりだろう。

現地で体験した方々も多いと思うが、現在は乾燥タイプにも出会う機会も少なく無い。


基本的な小麦粉、水、塩の白い生地〝bianchi ビアンキ″ の他に、全粒粉などを使った色のくすんだ〝scuri スクーリ″ あるいは〝mori モーリ″ と大きく2つに大別はできるが、主素材としても硬質小麦や蕎麦粉を用いたり、副素材も卵の他、牛乳で練るものなど様々に存在する。


真意の如何程かは不明だが、いずれにせよ共通するのはその語源にあるのは古いラテン語や、それ由来の方言 〝bombyx″ や 〝bigàt″ などが多くの関連書物やサイトに記載されており、そのぷっくりと長い形状そのものを比喩した〝ミミズ、ワーム、イモムシ″ などの意味する言葉なのは間違いなさそうだ。

ウナギもこの周辺では同じ語源として〝bisato″ と呼ばれる。 ウナギを除き語源の様を思い浮かべて考えると最初に名付けた人間のセンスを疑いたくもなるような、いささか食欲の湧いて来ないものだが、それもまた一興だ。


ビーゴリ イン サルサの話に戻ろう。

ここまで論じてきた様に、四旬節の期間中、そもそもは断食の考えの灰の水曜日や肉食を断つ意味合いの毎週の聖金曜日が特に重要なのだが、料理の性格上、同じく静粛な日として12月24日の「Vigilia di Natale ヴィジーリア ディ ナターレ → クリスマス イヴ」にもこの地方では欠かせない一皿である。


素朴な農家の料理であったものが、宗教的な意味あいを超え、今日では通年食される程の定番のものとなり、この地方のレストランや観光地などでは代表的な名物料理の一つだ。


たった一皿の料理でここまで大掛かりな話になってしまったが、こうして多角的な視点から深く考察すればする程、イタリアの食文化の大切さと素晴らしさを改めて感じずにはいられない。 一口に伝統料理、郷土料理とは言えども、時に気候風土、時に宗教、時に政治、戦争、時に必然や偶然、時代時代の時系列、食べる理由、などなど様々な要因起因が相互に作用しあったりそうでなかったり。

まるで遺跡の発掘作業のようである。



02. Aprile. 2020

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